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フリードリヒ2世(Friedrich II., 1460年5月8日、アンスバッハ - 1536年4月4日、アンスバッハ)は、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯(在位:1486年 - 1515年)、ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯(在位:1495年 - 1515年)。フリードリヒ老伯(Friedrich der Ältere)と呼ばれ、またフリードリヒ5世とする文献もある。ブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスと後妻のザクセン選帝侯フリードリヒ2世の娘アンナとの一番上の息子で、成人したアルブレヒト・アヒレスの息子の中では2番目に年長となる人物。ヨハン・ツィーツェロの弟、ジークムントの兄。 1486年にブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯となり、1495年に弟のジークムントの死を承けてブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯を兼ねた。しかし、その浪費癖から1515年に長男のカジミールによって退位させられ、13年間にわたりクルムバッハのプラッセンブルクに幽閉された。1527年のカジミールの死により解放され、1536年に没した。 1497年からゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが騎士修行のために仕えていた。ゲッツは1500年にアンスバッハから去った後、ランツフート継承戦争で右腕を失い、義手を付けて鉄腕ゲッツとして名を馳せていく。 == 子供 == 1479年2月14日にフランクフルト・アン・デア・オーダーで、ポーランド王カジミェシュ4世の娘ゾフィアと結婚した。彼らの子供は、以下の通り。 * エリーザベト(1480年) * カジミール(1481年 - 1527年) - ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯 * マルガレーテ(1483年 - 1532年) * ゲオルク(1484年 - 1543年) - ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯 * ゾフィー(1485年 - 1537年) - 1518年にレグニツァ公フリデリク2世と結婚 * アンナ(1487年 - 1539年) - 1518年にチェシン公ヴァツワフ2世と結婚 * バーバラ(1488年 - 1490年) * アルブレヒト(1490年 - 1568年) - ドイツ騎士団総長、後に初代プロイセン公 * フリードリヒ(1491年 - 1497年) * ヨハン(1493年 - 1525年) - スペイン領バレンシア総督。1519年にジェルメーヌ・ド・フォワと結婚 * エリーザベト(1494年 - 1518年) - 1510年にバーデン=ドゥルラハ辺境伯エルンスト1世と結婚 * バルバラ(1495年 - 1552年) - 1528年にロイヒテンベルク方伯ゲオルク3世と結婚 * フリードリヒ(1497年 - 1536年) - ヴュルツブルク及びザルツブルクの聖堂参事会員 * ヴィルヘルム(1498年 - 1563年) - リガ大司教 * ヨハン・アルブレヒト2世(1499年 - 1550年) - マクデブルク大司教 * フリードリヒ・アルブレヒト(1501年 - 1504年) * グムプレヒト(1503年 - 1528年) - バンベルク聖堂参事会員 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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